The Legend of 59Club 59クラブの歴史、日本人のとらえ方、入会について |
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59Club(フィフティナイン・クラブ)。ROCKERSなら誰もが憧れ、そのメンバーになりたいと思う伝説のモーターサイクルクラブ。日本でも「59Club
Japan・59クラブ・ジャパン」があったが惜しくも開始から数年経った2000年ごろに終了してしまった。「ROCKERS」そして「59クラブ」が日本で定着していくスタート地点で終わってしまったことは本当に残念に思う。しかし、その中で自分はかけがえのないたくさんの仲間たちと出会うことが出来た。だから59クラブ・ジャパンがなくなった今でもアツイ想いを持つ者たちがROCKERSを続け、歴史を繋げていく事が大切だと思う。 その時日本人にとって59クラブとはなんだったんだろうか?90年代中ごろ、バイク界ではSRに代表されるシングルバイクを英国車風にカスタムすることが流行だった。その土台の上に「59クラブジャパン・日本支部」というものがタイミングよく入ってきたために「流行」に添う形で「ROCKERS」ファッションもバイク乗りに拡がり、そのメンバー数も年々増えていった。だが、その中の誰が「59に入ることはその歴史に貢献する寄付である」と思っただろう。もちろん、最初は自分も「あの59が!」という憧れだけで会員登録した口だった。しかし、入会に当たって送られてきたバッジやワッペンなどを愛しく眺めていたことは大事な思い出だし、写真集「ROCKERS!」の中でたくさん目にするあのワッペンを身につけられるということに興奮した。 数年の後、どんどん59クラブメンバーの数は減っていく。理由は単純なことで「流行」じゃなくなってきたから。大学生が車への乗換えで単車を降りたり、トラッカーへと移行する人。また、59clubは一年登録制なので更新しないとメンバーではなくなる。その大多数の人はただワッペンさえ手に入ればよかったわけで「更新」する意味はないわけだ。 59clubとは一体なんだ?「ROCKERSを象徴するクラブ」とは誰もが言えることだが、それだけだと何も重みがなく、ただワッペンをつけて喜んでいる浅はかなものだ。英国で実際に触れてみた上で、その歴史的深みを伝える役目とクラブのサポートに少しでも貢献できればと思いこの文章を載せることにした。 *59クラブの現在
しかし、その歴史を守っている。彼らがいなければ毎週二夜、誰がクラブのためにボランティアをするのか。 世界中から訪れるメンバーを静かに待っているのだ。 *59クラブの歴史* 59Clubは「ユースクラブ」がもとになっている(ボーイスカウトのようなものか?)。ROCKERSのための「モーターサイクルセクション」が発足したのは62年のことだが、他のセクションが初めて設立された1959年を由来して名づけられた。59clubに保管されている数々のワッペンやバッジが展示されるボードには「サイドカーセクション」や「ダイビングセクション」などを見つけることが出来る!なぜ、59クラブのワッペンをつけることがROCKERSにとって象徴であり、なぜ莫大な数のメンバーを擁するまでになったのだろう? 59Clubの創始者、Father Bill Shergold(ファーザー・ビル・シャーゴールド*1)は当時不良だったROCKERS達の社会的立場の救済のため、教会をメンバーに解放したと言われる。だが、不良たちがわざわざ教会に行き、お祈りや退屈なことをしていたのかと思うとそうは考えられない。現状のスウィフトセンターの開放から想像してみると、教会そのものがROCKERSたちの「一つ」の溜まり場であっただろうと思う。その集まっている場所が「教会」だということが報道関係者や一般市民には驚きを与えたに違いない。 *1 「Bill」は「William」の愛称。ファーザー・ビルも本名ウィリアム。 当時のROCKERから話を聞くと、一日に場所を点々と変えて茶を飲み、うだうだと過ごすのが楽しかったという。10代後半、20代なんて時代が変わってもいくらでも時間のある世代だということだ。ましてや何十年も前のこと、現代と比べたら娯楽なんて比較にならないほど少なかっただろう。 当時ROCKERSが集まるカフェは無数に存在した訳で、その中でACE CAFEが何故にそれほど有名だったかというとその立地条件、集まりやすさがあったことが大きいはずだし、59クラブも例外に漏れないのではないか。ロンドン内で大人数が集まれる場所として他の地域にも情報が伝わり「おい、今週末はACEへ行こうぜ。」「知ってるか?Hackney(ハックニー)にある教会は最初に金払うだけで、安く茶を飲めるらしいぞ。週末は結構な数が集まるらしいぜ。」というノリで集まる人数が増えてくる=有名になってくる。そして、面白半分でタペストリーを切り抜いて縫い付けていたものが会員のワッペンとして配布され、「じゃあ俺も」というあくまで「ノリ」で増えていったのではないか。「ステイタス」だから、と付けるのではなくて、ただ単にそれが彼らに「流行」していたから。そういう一連の流れでメンバーが爆発的に増えていったのではないかと思う。 現在の代表は3代目のFather Scott(ファーザー・スコット)である。初代Father Shergold、2代目Father Hullett。ファーザースコットもバイクを愛する神父さん。彼はBSA SRに乗っている。この車両はほとんどが日本へ流通したらしく、「こちらでは珍しいんだよ」と語ってくれた。初めて会ったのは、ACE CAFE LONDONでのクリスマスイベント。緊張して「あなたはひょっとして、ファーザー・スコットですか?」と話しかけると「Yes,I am」と凛として答えてくれたことがとても印象深い。デジカメで写真を一緒に撮り、すぐに見てもらうと「普段はあんまり写真写りが良くないんだけど、これはなかなか良いな。」なんていう一面も。いつも59クラブのスウィフトセンターにいるわけではなく、通常は他の教会の神父を務めているらしい。左の写真は2005年の元旦に行われたNew Year’s Day Paradeにて。 *日本での59クラブ* 現在日本から直接59クラブに入る手立ては無い。というのは、登録のための費用をどう送るかが問題になる。59clubのホームーページにはメンバー登録についてのことが書かれているが、クレジットカードでの支払いが出来ない(ポンドでの現金払い、もしくは小切手のみ)ために、、日本からは登録したくてもできない人が多いと思う。 日本の仲間に本物の59clubを伝えたいと思うのと裏腹に、自分の気持ちの中に大きな問題があった。59クラブは年会費制のため、毎年更新しなければならない。自分の橋渡しで登録した人たちが一年限りのメンバーで終わってしまっていいのだろうか?それは59club Japanと同様に、ただワッペンをつけて喜ぶ人間を増やしてしまうだけではないか、と。本国登録して何が得られるのかというと、会員証のほかには年数回送られてくる会報誌だけだ。その冊子は当然英語で書かれ、いつもROCKERSのことが満載かというとそうでもない。「バイククラブ」の会報と言った方がしっくりくるものだ。だから「必ず毎年更新しなければならない、59クラブを軽く扱うな。」というのは無理がある。それに自分がいつまでこちらに居られるのだろうかという不安もあり、好い加減な結果にはしたくない、と悩みに悩んだ。 59クラブを数回訪れるうちに、ある答えに行き着いた。 「もし、登録した人が一年で終わってしまい更新しなかったとしても、それはそれで59clubへの寄付、サポートになっている。そして、その人がサポートしたということは歴史を支える一部になる、ということだ。その「寄付」と引き換えに「59」を身につける権利が生まれると理解すればいいのではないかと。「59クラブのメンバーだから」と言って、何かを期待するのではなく、自分が59クラブの歴史に貢献したと考えてもらうことによって、本国同様、間口を広く開放できるのではないかと思っている。 59クラブのスウィフトセンターがたくさんのROCKERSで再び賑わう日がきっと来ると信じている。それまで、その歴史が途絶えることなくずっと続くように、微力でもサポートできたら。というのがアジア人ROCKERの願いだ。 日本のオークションなどでは59クラブのステッカーやワッペンなどが時折売買されている。「伝説」だなんだと適当に祭り上げて高く取引されている図はなんとも悲しく、怒りを覚える。そんなくだらないことを一蹴するためにも、使命感を持って59clubの登録代行をしたいと思う。 *登録方法、代金について* ここまで読んで納得した方のみ、入会してもらいたいと思います。バイクの車種なんて関係ありません。アメリカンでも50ccの原付でも「サポート」という気持ちがあれば誰でも入会できます。59clubの価値を上げすぎるのではなくて、日本でも現状のあり方を正しく認識してくれれば、と願っています。 現在は登録は休止中ですので、登録手続きの箇所は削除しました。 |