The Glory of ROCKERS!! #01 |
Jake "The Captain" Turner age 43 *Motorcycle History* 1984 Triumph 5TA Late 80's Triumph Bonneville 1989 Triumph T160 Trident Eary 90's Triton 816cc 1994 LAVELDA JOTA 1000cc 1999 BSA A50 ROYAL STAR (BONNIE、TRITON、LAVELDA、BSAは現在も所有) *INTERVIEW* Hiro(以下H):いつからバイクに乗っていますか? Jake(以下J):1984年からかな。それ以前からファッションスタイルとしてライダースジャケット、トライアンフのベルト、ルイスのロングブーツは好きで取り入れていたのだけど、バイクには乗りたいとずっと思っていたんだ。 H:最初のバイクとの出会いはどうやって? J:当時、俺はポートベロー・マーケットの中にあるパンク系のレコードショップで働いていたんだ。ある時、店の前でこれから南アフリカに移住するって奴が色んな物を売り払っていた。そこにサイドカー付きのトライアンフが停めてあって、それも売り物だって言うんだよ!1000ポンドぐらいだったかな。これは運命だ!って思ったね。 H:免許はどうやって? J:当時はDVLA(日本で言う運転免許センター、陸運局的なところ)に申し込むと、まずProvisional Licenceというものが発行されるんだ。そうすると一年間は125ccまでのバイクに「L」プレート(*注1)をつけて乗ることができる。その間にテストを受けにいって、きちんとした免許を取るんだ。けれど、その期間であっても、サイドカーがついていれば排気量は無制限だった。だから、トライアンフのサイドカー付きは正に俺の求めていたものだったんだ。運転はその移住する奴から教えてもらったんだ。店の周りをぐるぐるぐるぐる練習したよ。(注1:「L」プレートとは日本で言う若葉マークのことで「Learner」の意味。白地に赤でLと書かれており、バイクの前と後ろに付けなくてはならない。) H:どんな音楽を聴きますか? J:もちろん、ロックンロールも好きだけれども、それだけだと退屈してしまうな。なぜなら、俺らはパンクのジェネレーションで育ったからね。15〜17才の頃はスキンズだったし、頭をモヒカンにもしていたよ。70年代のセックスピストルズ、クラッシュ、ダムドをはじめ、アメリカンパンクも聴いた。60'sのガレージ、サイケデリア、初期のストーンズも好きだった。そうして色々聴いていると、皆ロックンロールのカバーをしていることに気付いてそこからロックンロールにも傾倒していったんだ。 H:どんな仲間とつるんでいましたか? J:あるレコード・フェアーに行った時のことだ。何気なしに後ろを振り向くと俺とそっくりの格好をしている奴がいたんだよ!一瞬鏡を見ているのかと目を疑うほどだった!そいつは俺と同じようにクイッフ(リーゼント)をしていて、ライダースジャケット、トライアンフのベルト、ロングブーツっていう出立ちだった。しかも背の高さも一緒ぐらいだ!(190c強!)当時そういう格好をしている奴っていうのは俺の周りには全然いなくて、俺は自分のことを特別だと思っていたんだ。それなのに全く一緒の奴がいるんだからね。だから最初はお互い嫌っていたよ。向こうも自分が特別だと思っていたんだろうね(笑)。けれど、そのロビンとは親友になるまでに時間はかからなかった。(写真左がロビン。80年代後半) それからロビンも含めた仲間内で「MEAN FUCKERS」というチームをつくって集まったりしていた。当時はシリアスなバイク・ギャングもいたけれど俺らはそういうのではなかった。建築やアートに足を突っ込んでいる面白い奴らの集まりだった。80年代初めは若くしてROCKERSをやっている奴らっていうのはほとんどいなかったけれど、その後からジョニー・スチュアートやレン・パーターソン達が新しいロッカーズの世代をつくっていった。 H:どこに集まっていたの? J:85年ぐらいからカムデンのはずれにあったパブ「RUSHELL ARMS」(ラッセル・アームズ)によくたむろしていた。毎週木曜日にはHOT RODやROCKERSが集まって、ロックンロールが流れて、ジャイブを踊ってる奴がいたりと良い場所だった。その後はエンジェルにあるパブ「OLD QUEEN’S HEAD」(オールド・クィーンズ・ヘッド)に集まっていたよ。(日本で発売された「CAFE RACERS&ROCKERS」にはこのパブで撮られたROCKERSの写真が載っている。残念ながら、数年前にこのパブのオーナーが替わり、バイカーが集まることを快く思わないため現在定期的にこのパブでは集まっていない。) H:愛車のトライトンは自分で組み上げたの? J:そうさ。90年代前半からトゥーティング(サウスロンドンの一地区)にある「NEWTON&SMYL」という旧車を主に扱うモーターサイクルショップで働き出した。最初は見習いからだったけどね。その時に組んだのがトライトンだ。ボトムエンドは5TAのビッグベアリングケースのもので、クランクはノートンコマンドーの物が入っていて816ccになっている。60年代のアフターマーケットパーツを製造していたAREのアルミバレル、モーゴピストン、4プラグヘッド、5スピードミッション。フォークはロードホルダー、フロントブレーキはSUZUKI GT750の4リーティング・ドラム。ちなみにこのバイクは水冷だったのでKETTLE(ケトルとはコンセントでお湯をわかすポット。こちらは電圧が240Vあるので、すぐにお湯が沸く。)と呼ばれていたんだ。チューンしすぎているので、気を使ってやらなきゃいけなくて大変だ。ここに引越ししてきてからは、修理をする時間がなくてもう何年も乗っていないな。 H:今一番愛用しているバイクは? J:ビーザ(BSAの愛称)だな。99年に友人から買い取ったんだ。そいつはNEW YORKからBSA A50 ロイヤルスターを持って帰って来たんだけれど、そいつはすぐにアメリカに移住することにしたのでバイクを引きとって欲しいと言ってきた。けれども俺はそれまでトライアンフ一筋だったんで、BSAなんていらないっていったんだ。けれど、そいつも出発の日が迫ってきているので、「頼むから買ってくれよ。」って懇願してきた。それじゃあって1000ポンドなら買ってやるって言ったんだ。そいつは「安すぎるよ!」って言ったけれど、だって俺はいらないんだものな(笑)。数日後にそいつがしぶしぶ、それで良いって言うんで買い取った。そうしたら、実によく走るバイクで今では一番の足になってるよ。もうあれから7年になるんだ、早いな。遠出する時はラベルダかな。あいつは良く走るから。ボニーもA50に比べると高速で安定感があるから乗り分けているよ。 *** 去年ACE CAFEでTON UP DAYに向かう途中。自分のトライアンフのスロットルケーブルが切れるアクシデントがあった。寒い中どうしようもなく途方にくれていた時に偶然ジェイクが通りかかった。往復小1時間の彼の家までわざわざスロットルケーブルのスペアを取りに戻ってくれたトップ・ラッド(男、仲間の意)!お礼を言うと、彼がこう返した。「俺たちは持ちつ持たれつだからな。」 ***編集後記 「ROCKERS」というルールの上を歩いているのではなく、「それだけだと退屈する」といったあたりがパンク世代に育ったという事を感じさせる。ステレオタイプのROCKERSではなく、彼の中には何よりもバイクが身近にあるように感じた。80年代にこのシーンに染まったROCKERはこういうタイプが多いのかもしれない。ROCKERSを掘り返して追求するのではないけれど、オリジナルを尊重しつつ、彼自身のスタイルを楽しんでいる姿がカッコイイ! |
ジョンソンズのジャケット。タグが気に入らなかったらしくHIGHWAYMANのものを上から貼り付けているそうだ。ショルダーの部分に留めつけられたチェーンが印象的でかなり個性的なジャケット。他にもルイスレザーズ・AVIAKITなども数着所有。 |
エッソマンは友人の手作り!どうりで顔がちょっといびつ。笑 英国版エッソマンレプリカです。 Mean Fuckersのパッチは世界で数枚しかない、彼らだけの物。 |
1994年 レン・パーターソンが毎年行っていたROCKERS RUNという ロンドンからブライトンまでのラン。Mean Fuckersの面々。 |
左:80年代中頃 5TA 彼もまだ20代前半。 右:80年代後半 ハイド・パークにて |
左:1988年ごろ 59クラブにて。 右:JAKEがかつて働いていたポートベローのレコード店とトライトン。 (レコード店とバイク屋の仕事をかけもちしていたよう。) |