「WILD ONES」 ACE CAFE AND YOUTH CULTURE 7th April 2007 |
小さなミュージアムでのROCKERSをテーマにした展示と、そのオープニングイベントの一環としてあったACE
CAFEから現地までのRIDE OUTの模様をレポート!! ACE CAFEがある周辺地域はロンドン内の「ブレント」という地区に分類される。その地区にある図書館兼ミュージアムにてROCKERSに関してのエキシビジョンが行われる事になった。日本では、例えば「カミナリ族」を市役所などが取り上げて、そのカルチャーを紹介するなんて想像できないが、こちらでは不良の文化もきちんと文化として認められているところが面白い。タイトルは「WILD ONES」 THE ACE CAFE AND YOUTH CULTURE 1956−1965。ちなみに、レザーガール・ヒロコ情報によると、BBC(日本で言うNHKか?)も取材に来ていて、夕方のニュースにほんの少しだけど取り上げられたらしい。 ACE CAFEに到着したのは11時ごろで、12時に会場であるブレントミュージアムへ向けてのライド アウトが始まる。ROCKERSがBIKEと共に珍しく一列でACEの敷地に並ぶ。一台、また一台とトラやトライトン達が爆音と共にACEの駐車上に入ってくる、「こっちだぞ!」と知り合いに手を上げている時に、なんだかタイムスリップしたような錯覚に陥った。ACEにて、トライアンフ、ROCKERSに囲まれて、顔見知ったROCKER達の到着を待つ。 正午出発。台数は30台前後と思っていたよりも少なかったが、それでもそれだけ一斉にエンジンに火が入れば空気も振動する、爆音になる。会場まではほんの20分程度のランだったけれど、ノースサーキュラーを車の合間を縫って走り、渋滞しているところがあれば皆おかまいなしにあっちやこっちから隙間をすり抜ける様は見ものだった。 |
少し抜粋して紹介しよう!! *「1950年代にHire Purcahse(ハイヤー・パーチャス)という今で言う、分割払いの制度が飛躍的に普及したため、ROCKERSがバイクを買える様になった。これにより、例えば週に4ポンド稼ぐワーキングクラスの若いROCKERSが新車で230ポンドもするゴールドスターをも購入する事ができた。」 説明:ここ英国では給料や家賃を週で計算する事がまだまだ多い。映画「さらば青春の光」の中で、主人公が金曜日に給料を受け取るシーンを見る事ができる。週4ポンドという事は月にすると20ポンド弱。何年もローンを払う事はこの時代から存在したと思うと面白い!! *「1934年に開発が進むエリアでは30マイル(時速45km)のスピードリミットが設けられたが、それ以外の道路では時速制限が存在しなかったため実はROCKERSは法によるスピードの規制を破りはしなかった。(なぜなら法律が無かったため。) しかしその後、スピードによる事故の増加に伴い1965年に最高速度70マイル(時速約110km)のリミットが設けられた。」 説明:スミスのクロノメトリックメーターにある30マイルを指すラインは最初のスピードリミットを表わすものだった。 |
右のジャケットには持ち主の説明がされてあった。「イアンは16歳の時にこのジャケットをプライド&クラークにて購入した。彼の仲間とデザインを決めて、このレッド・インディアン・ヘッドを仲間がペイントした。彼らは「スコーピオンズ」というローカルのモーターサイクルクラブのメンバーでイースト・フィンチリーにある古い防空壕跡に集合し、そこからACE
CAFEや他のバイカーミーティングに走りに行っていた。」この地名「イースト・フィンチリー」はまさに自分が今住んでいる街の名前なので、歴史とつながっている不思議な感覚を覚えた。 |