CHELSEA BRIDGE 'WRINKLES' REUNION 16th June 2007 |
CHELSEA BRIDGE 'WRINKLES' REUNION チェルシーブリッジ ”シワが刻まれた”(!?)リユニオン ACE CAFE、BUSY BEEやDUG OUTなどのカフェや59クラブと同じく、チェルシーブリッジのたもとにあるティーストール(紅茶やバーガーを販売する屋台、移動式だったり)もROCKERSに愛された溜まり場である。今回はそこに集まり、59クラブの2代目のリーダーにあたるファーザー・グラハムがすでにシワが深く刻まれた荒くれROCKERS達にメッセージを送り、セーフティードライブを祈願する事が今回の主旨。当日は雨が降ったり止んだりと不安定な天候だったために、ぎりぎりまで行こうか悩んだが結局濡れる覚悟で参加する事に。 まずはバタシーロッカーズ達の溜まり場のパブ・パビリオンに集合し、そこからほんの5分程度だがRIDE OUT!!最近ご無沙汰だったバタシーロッカーズやキングストンエリアのダイナソーズの面々とも久しぶりに再会!! 今はロンドンの結構北部に住んでいるため、パビリオンがある南西のバタシーエリアまで行くのが億劫になってしまっていた。そうしたら「もう日本へ帰ってしまったのかと、つい最近話してたんだ。」なんていわれる始末。 チェルシーブリッジには70名ほどは集まっていただろうか。天候が良ければROCKER,バイクがもっと膨れ上がっただろう。しかし、数十年ぶりにチェルシーブリッジを訪れたオールド・ロッカーもいたに違いない。残念ながら、7時に行われたスピーチにはファーザーは健康上の理由で参加されなかった。その替わりに60年代のオリジナルROCKERであり、80年代にROCKERS REUNIONを興したレン・パーターソンがファーザーからのメッセージを読み上げ、当時の思い出にジョークを交えて場を沸かしていた。 チェルシーブリッジのティーストールはもう何十年も同じ場所にあり、60年代にオープンしていたストールはロンドンのTransport Museum に展示されているそうだ。余談だが、今でも週末はバイカーが集まるスポットとなっており、最近そのチェルシーエリアの自治体の方針が変わったために、ストールを畳ませようとする動きもあるとの事!!何とかこれからも続いて欲しいものだ。そういえば、去年の秋にバタシーロッカーズがティーストール存続の署名を集めていたな。ちなみにバタシーロッカー達は50年代後半〜60年代のROCKERSをオリジナルとすると、第2世代となり、70年代にチェルシーブリッジにたむろしていたそうだ。ちなみにジェイク達はその次の第3世代にあたる。 そのオリジナル世代からROCKERを紹介しよう。「バイクは乗ってなんぼ」のROCKERのバイクはやれ具合がたまらない。通勤に使っているKENNETHのトライトンはその代表選手だ。(写真はページ下に掲載) ダイナソーズのメンバーは本物のBSA ROCKET GOLD STAR!!聞くとBSAを4台持っているそうだ。ライダースも何着か持っているようで以前BSA SUPER ROCKETでパビリオンに乗り付けていた時は、バックにロケットがペイントされている物だった。新品でジャケットを購入し、そのまま何十年も着続けているのだろう。そう思うと、ヴィンテージジャケットを購入して「はい、出来上がり」ではなく、長年愛用して行く事も大事なんだと考えさせらる。もちろん、ヴィンテージジャケットの独特の雰囲気は現在では再現できないものだけれども。 少し脱線するが、例えば70年代ごろまで英国のライダースジャケットには一般的にシープスキンが使われていた。(高級モデルやレーシングスーツには牛革、安価なものには合皮素材)その頃の皮革のテクノロジーは現在と比べると未熟で厚みが一定でなかったり、レザーが芯まできちんと染まっていなかったりする。また、表面に吹き付けられる塗膜も耐久性に乏しいために数年、いやひょっとしたら数ヶ月酷使するだけでもかなり表情が変わってきたのだろう。当時の写真集を見ても、かなりやれているジャケットを見る事が出来る。 厚みの違いによるレザーの表情、シープスキン独特のシボ(シワ感)がなめしの未熟さゆえに荒々しく浮きあがる。塗膜は耐久性が無く、ブラックが剥ぎ取られ、緑がかったブラックや芯色のブラウンが擦れた箇所からのぞく。ジッパーのテープはコットンで対光性に難あり。日焼けして黒→こげ茶→生成りに色あせてゆく。ポケットのボールチェーンはメッキがはがれ、地の真鍮が露になり、黒ずんでゆく。 「クオリティ」という観点でみると未完成過ぎるが、その「未完成さ」がその独特の深みをだしていると言える。完璧に近づくほど「味」がなくなってしまうのかと考えると妙な気もする。本物とは未完成のものなのか? いや、それらを完成させる事ができる現代、いかにその「味」を見つけ、自分のものとする事が大切なのではないだろうか。それゆれに、ヴィンテージという「古い服」「誰かが着ていた中古服」に価値が見出されるのではないか。すでに備わったテイストを自分のものとするために。 話を戻そう、その後はパブ・パビリオンへ戻り、ロックンロールライブがはじまる。夜がふけると共にバイクも増え、ドレープを着たTEDSの姿もちらほら目立つようになった。パイントグラスを片手にバイクを眺めていると、グロスターというイングランドの西部から来たROCKER達に声をかけられた。日本人が珍しかったのだろう。「いつからROCKERS,ブリティッシュバイクが好きなんだ?」などなどそんな事を聞かれたり、こちらも聞き返したり。「様々なバイクに乗ってきたけれど、結局オールド・ブリティッシュがいいんだよなぁ。」なんて40年来のバイク歴を披露してもらった。 またロッカー・レディ(もはやガールではない!?)もちらほら。「昔はトライアンフに乗っていたのよ、けれど子供が出来た時に降りてしまったわ。バイクはまだあるんだけど、屋根裏部屋にバラバラになって箱に入ってるわ。いつか乗ろうと思っているけれど組めずじまい。時が経つのは早いわよね。」なんて思い出話も。 ワルの香りがぎっしり詰まったPub Pavilionは やはりROCKERSのためのリアルな場所だった。 |