MANX GRANG PRIX 2007 --1-- 23/24/Aug/2007 |
まずは簡単な、その小さな島の紹介から。 マン島は、兵庫県にある淡路島(あわじしま)とほぼ同じ大きさの島で、長さ53km、幅21km。イギリスのリバプールよりフェリーで2時間半。アイルランドとの間に位置する小島。「イギリスにある全ての景色が見られる」、「50年前の良きイギリスがまだ残っている」、とも言われ、その小ささとは反比例して見所満載の魅力的な島。面白い事に、この小さな島には自治権があり(議会の起こりは世界一古いと言われているそう。)外交権、防衛面はUKに委ねているものの、一つの「国」である。通貨はポンド、本土の通貨は使用可能。しかし、マン島で発行される紙幣・硬貨は同じポンドでありながらマンクス(マン島の)・ポンドとなり、本土では使用できない。また、独自の法があるために、今年7月からイギリス全土では公共の屋内では全面禁煙となったが (eg:パブの店内、オフィス内、仕事で使う車内 など)、 マン島では未だに屋内での喫煙が可能!! そして法人税、個人税の税率が低く、相続税が0という事からTAX HEAVENと呼ばれるそうだ。マン島はイギリスのようで、イギリスではない、不思議な存在。 |
その島で一般道路を使用したレースが1907年より続けられている。それがTT(ツーリスト・トロフィー)であり、戦争で中断しつつも今年2007年で100周年(Centenary)を迎えた由緒あるレース。TTは5月最終週から6月の第一週にかけて行われる。日本が誇るHONDAは1959年に初参戦し、1961年には125cc、250ccのクラスで1〜5位まで独占。優勝タイム、最速ラップを全て塗り替え、日本車の世界進出の橋頭堡(きょうとうほ)を築いたと言える。TTは日本の2輪史に於いても欠かす事ができないレースだ。 そしてもう一つのレースが毎年8月の末から9月の上旬にかけて行われるManx Grand Prix (マンクス・グランプリ)と呼ばれるアマチュアレーサー達のレースであり、クラシックバイクのレースも行われる。マンクスグランプリは、もともと1923年より始まったがその名称になったのは1930年から。TTに比べ規模は小さいが、より多くのクラシックバイクファンが集い、フレンドリー且つ、リラックスした雰囲気で楽しめるレースウィークとして知られている。お祭り騒ぎ、モダンバイクが街に溢れ返るTTに比べ、落ち着いてクラシックバイクと共にマン島自体もじっくり楽しめるのがグランプリではないだろうか。 実際にどちらが好みかは意見が分かれる所。TT・Manx GPの季節になると、リバプールやヘイシャムなど、いくつかの港よりマン島の首都 ダグラスを目指してバイクを満載に積んだフェリーが一日に何便も運行される。特に今年のTTは100周年だったため、フェリーを一年以上前から予約するのは当たり前だったようだ!また毎年の常連は、とことん通うため10回以上通い続けるモーターサイクリスト多数(中には20回以上!)。そして彼らはなじみのホテルや、もしくはそのレース期間だけのホームステイ先を見つけ、マン島を離れる際に次の年の予約もしていくと言う。 |
計画開始は7月ごろ。知人の日本人の方が愛車のBSA GOLD STARを日本から船便で送り、Manx
GPを観戦しに訪れると聞き、そのアツさに自分も負けてはいられない!とマン島行きを遂に決意。ロンドン〜港のリバプールまで片道325kmの道のりがあるために、どうしても旧車では不安だったがトライアンフに乗って早3年半。トラブルに対する度胸は少しは付いたつもり!という事でフェリーを予約する。早速このWEB(Steam Packet)でフェリーの値段を検索。「た、高い!」往復で4万円って何だ!? たった片道2時間半じゃないか。しかも、良い時間帯のフェリーに空席が既に無く、早朝だったり、夜だったりする。仕方なく、マンクスグランプリが終了した翌々日に復路を設定。TTよりもフェリーは取りやすいと高を括っていたが、大間違い。もっと事前から調べておかねば・・・ しかし、フェリーの予約をした数日後に愛車と共に、車に当てられる事故に遭ってしまった。保険会社から代車があてがわれたが、せっかくなので自分の単車で行きたいと願っていたところ、何とマン島出発の前日に事故修理が無事に完了し、晴れてトライアンフで出発!! |
8月23日(木) 1日目 ロンドン出発・ダビダ・テント設営 |
ここ最近は天気が悪い。寒い。夏だということが嘘のようで、毎日ジメジメと雨が降り続いている。前日から少し回復の兆しが見えたが、出発当日も風が強く、時折小雨がぱらつく。フェリーの出航は午後7時。2時間前にチェックインが閉まると予約書に書いてあるが、そんな大げさな。たかがフェリーに乗るために飛行機並みに時間がかかるとも思えず、ゆったり準備して昼過ぎに出発。この旅のために「一生ものだから」と値の張るテント、寝袋、エアマット、ストーブ(小さいガスコンロ)を張り切って購入。前回BSAのツーリングに参加した際、自分がその時持っていたテントと寝袋が如何に大きくて重いかを勉強。「アウトドア」という言葉とは縁が無かった自分がまさかマン島で単身キャンプとは、我ながら笑える。自分は荷物を中々減らせない性格で、今回の旅では何故か料理用のオリーブオイルの小瓶も持参したが全く使わなかった事から、次回はより身軽に行けるか!?
包丁も結局使わなかったなぁ。 高速道路をひたすら北へ向かう。途中、何箇所か工事中の所もあり、長々と渋滞に巻き込まれてしまい時間を喰ってしまった。昨日復活したばかりの愛車は調子がいい。出発直前にオイルを交換し、ケーブルにも念のため注油。万が一、に備えて今回はコンセントで使えるバッテリーチャージャーまでも持参。コベントリーを過ぎ、バーミンガムまで来てやっと半分強。しばらく走っていると天気が良くなってきたため、ようやく雨具を脱ぎ捨てる。それでもTシャツの上にフリースを着て、ジャケットを羽織っているのだから8月とは思えない事が容易に分かってもらえるはず。バーミンガムからストーク・オン・トレントまで来るとあと4分の1だ。リバプールまでマイル表示が現れるようになり、いよいよ胸が高鳴ってくる。が、リバプールの高速の降り口からフェリー乗り場までは10km弱の距離がある。一応、道のりはメモしていたが、幸い降り口からすぐにフェリー乗り場のサインが出ていたためそれに従い走ってゆく。時間は既に6時ごろ。さすがにそろそろ着いておかないとやばいな、と思い始める。サインを追い、走っているとある事に気が付いた。フェリーのマークが分岐点で両方に出ているではないか。「ひょっとして、いくつも港があるのか?」と思い地図を見てみると自分はマン島行きのフェリーには向かっておらず、それよりも数キロ北の港へ向かっていることが判明!時間が刻々と近づいて来るため、かなり焦ってきた。が、幸いそこから港までは数キロで 海沿いの道に出てしまえば、そこから少し下るだけで済んだ。その手前で引き返していたら無駄に時間がかかってしまっただろう。危なかった。下っていく道中には、巨大な朽ちたウェアハウス(倉庫)が並んでいて日本とはまた違う港の表情があり、思わぬ景色との出会いがあった。写真を撮ればよかったのだが、出発まで間もないため一路港へ向かう。「マン島行き」の看板を見つけ安堵のため息。そしてバイクに乗ったまま、チェックインする。予約時にパソコンの画面をプリントアウトしたものを提示して、札とレーン番号を言われるだけ。指示に従って、敷地内を進んでいくとモーターサイクルの一団が見えてきて、ここで一気に力が抜けた。 40台ぐらいがまだフェリーに乗っておらず、指示を待っていた。やれやれ、何とか着いたなとバイクを見歩き、タバコを吹かしていると、ある女性が自分のヘルメットをシートから勝手に動かして、地面に置いて写真を撮っている姿を目撃。「何してるの?」と尋ねると「私はヘルメットカンパニーで働いているの、いいヘルメットね。」と言う。会社名を聞くと英車好きには有名な、Davida(ダビダ)だと言う。「俺、ダビダのボスを知ってるんだ。前にロンドンで会ったよ。」と言うと、ボスのFIDDY(フィディー)もすぐに来るという。「彼はいつでも遅れてくるんだから。」とその女性 SHARON(シャロン)が苦笑いしながら言っている時にFIDDYが到着。まさか、こんな所で再会するなんて何て偶然なんだろう。彼はリバプールに住んでいるのに、マン島は初めてだそう。もったいない話だ! そうこうしている内に、フェリーへバイクを積み込む時間となり、船内にトライアンフを滑り込ませる。すると既にその倍以上のバイクがもう積まれているではないか。毎回これだけのバイクを運んでいるとなると、どれだけのバイカーがマン島にひしめいているのだろう?船内の半分ほどはクラシックバイクで、みんな様々なところから集まって来ているようだ。落ち着いて席につくと同時に、ギネスで一杯。FIDDY,SHARON,PETER(ピーター)のダビダ勢と同席して話をする。一杯やると疲れが出てきたので、適当な話の区切りで席を立ち、デッキに上がる。リバプールの街を眺めつつ一服。船内の売店でマン島の地図を購入し、お釣りにマン島の紙幣、硬貨を渡されるといよいよ念願のマン島へ渡るんだとはっきり実感。 再びデッキでのんびり夕日を見ながらぼんやりしていると、色々な乗客と目が合い、少し話す。95%の乗客はモーターサイクリストだ。やれマン島は何回目だとか、どこに泊まるか、何のバイクに乗っているか、そんな話ばかりで、すでに皆がこのフェリーをマン島の一部だと思っているかのようにフレンドリーで、これからの旅が楽しみになってくる。 |
フェリーで少し仮眠を取った後、いよいよマン島の小さな首都「DOUGLAS」(ダグラス)へ到着!!排気音で包まれた車庫は、一台、また一台とバイクをダグラスにバイクを吐き出しては、その都度少しずつ静かになっていく。その音の余韻に浸りながら、自分もいよいよダグラスへ上陸。港では何人かがバイクが降りて来る様を見物しており、自分に向かって何か声をかけてきた。「いやぁ、フレンドリーな所だなぁ。」と出迎えに感激し、まずはダグラスの海沿いを軽く流す。ホテルが所狭しと立ち並び、ホテル前の駐車スペースにはバイクが至る所で幅を利かせている。すでにクラシックバイクのフェスティバルだと言う事をここだけでも実感。湾は緩くカーブしていて、遠くまで電飾が続いていて美しい。 前を走る車が、道路の真ん中でいきなり停車したため、クラクションを鳴らそうとしたその時、運転手が降りてきてこう言った。「フロントライトが点いてないよ!」 あ、ありがとう、と思うと同時に、船から下りた時に何人かがえらく自分に声援を送っていたのは「ライトを点けろー!」と叫んでいたのだと納得。何を言っているのか、排気音とヘルメットで聞こえなかったため、とりあえず手を上げて挨拶した自分に笑えた。 夜9時半ダグラス到着のため、さすがに日はどっぷり暮れている。初めてのマン島で、キャンプ生活。まずは一番近いキャンプサイトを目指す事にしていた。そのサイトはダグラスのやや北にある、レースのスタートとゴール地点、グランドスタンドの真裏にあるものだ。マン島は狭い、とはいえ新しいマップと新しい土地での距離感がつかめずどこで曲がるのか、行き過ぎてはいないか不安になる。時刻は既に10時を過ぎていて、ダグラスのホテルが並ぶエリア以外は驚くほど静まり返っている。グランドスタンドを過ぎてすぐ右手にあるはずだが、ポリスの大きなヘッドクォーターサインしか見当たらない。不思議に思いながらもまっすぐに進んでいると「Welcome to Onchan」というサインが出てきた。これは絶対に行き過ぎているし、この街?の名前は読めないぞ。おんちゃん?? 変な名前だなぁーと思いつつ引き返す。先ほどの、ポリスの大きなサインがある道以外にキャンプサイトがあるような所が無いため、恐る恐る小道に入って行くといくつかのテントやトレーラーが見えてきた。やっぱりここだったんだ。何故キャンプサイトのサインが道路に一つも無いんだ?と怪訝に思いながらも空きスペースが無いかトライアンフをゆっくり進ませる。突き当たったところにトイレとシャワー場があり、左に曲がる。周りはバンや大きなテントばかりだったが、こじんまりしたテントを見つけ、その横にスペースを発見! エンジンを切り、その芝生の斜面にバイクを停めようと押したが、タンクバッグがつっかえ力が入りにくい。その上、夜露で滑りやすく、危うく荷物もろともひっくり返る所だった。地面が柔らかいので、サイドスタンドの下に空のペットボトルを差し込み、地面にめり込み過ぎないようにする。そこで荷物を降ろし、タバコに火をつける。やれやれ、どうにか寝る場所を見つける事ができた。一息ついてからテントの設営。実は購入後、部屋で組み立てようとしたがスペースの都合で断念。 結局これがこのテントでは初めてだ。しかし、良く作られているもので、ド素人でもスムーズに設営完了。荷物をテントに入れ、エアーマットを膨らます。これだって、バルブを開けると勝手に空気が入る仕組みになっている。どうなっているんだ?イギリスの廉価製品を取り扱う店ではエアーマットは全て手動で空気を入れるようになっていたぞ。恐るべし日本製品のクオリティ。 そして体が冷えているので、これまた新品のストーブ(キャンプ用バーナー)を試してみるか、と愛車からガソリンを拝借しストーブのタンクへ。まずはタンク内のガソリンがノズルから気体となって出てくるまで、本体を熱さなければいけない。固形燃料を使えとあるがそんなもの持ってる筈も無いので、ライターで色々と炙っては、ガソリンが出てこないかコックを開いたり閉じたりしていた。外は風が強いため思うようにライターの火が続かず痺れを切らして、愚かにも風を防ぐためにテントのシート内にてそれを行おうとした瞬間!コックから滲んだガソリンに火が点き、高さ50cmほどの火柱が!!慌てて本体を外に出し、コックを閉じた。ふぅ、危うく丸焼けになるところだった。このストーブは燃焼時の音が大き目とあったので、今日は下手に挑戦せずにおとなしくあきらめる事に。体も冷えているし、新しい寝袋とエアーマットの具合をちょっと確かめようかとモゾモゾミイラ型の寝袋に入り込むと、そのまま眠りに落ちた。 |
8月24日(金)2日目 スネイフェル・北端・テントの斜面 |
単気筒のけたたましい排気音で目が覚めた。レースマシンの暖気をしているのか絶えず吹かしているため、キャンプサイト上に響きわたっている。時計を見るとまだ朝の7時。みんなこんな時間でも怒らないのかー、さすがマンクスGP!なんて感心しながらテントから出ると、隣のテントからも丁度人が出てきて挨拶をする。スコットランドから来たレーサーで、大きな屋根つきテントにマシンを入れて、自分達はトレーラーで寝ているそうだ。キャンプサイトにシャワーがついている場合、大抵シャワー用のコイン(トークン)をオフィスで購入しなければならないため、散歩をかねて敷地内をうろうろしてみた。すると個人で旅に来た、というよりはレースに出場しに来た連中がここのキャンプサイトを陣取っているようで至る所にゼッケンをつけたマシンを見る事ができる。20分ほど歩き回ってもそれらしき建物が見当たらないので、近くにいたメカニックらしき人に尋ねてみると一言、「シャワーはタダだぜ。」との事。んー、いいキャンプ場じゃないか。ひょっとしたら他のキャンプサイトもGPの期間中はタダなのか?なんてバカな事をこの時は考えていた。朝はシャワーの使用が集中するせいか、タダだが、生ぬるいシャワーを震えながら浴びた後、昨夜火柱を高々と上げたストーブに再チャレンジし、何とか火をつけることに成功。10分以上ライターで炙ったり苦労していると、向かいのテントで椅子に座ってたレーサーが「お前のバイクもクラシックなら、キャンプの仕方もクラシックなんだな〜」何て冗談を言ってくる。無事にコーヒーをいれ、日本製ラーメンを食す。日本のインスタント・ラーメンは素晴らしく旨い。英国のビーフ&トマト味のヌードルと比べようが無い。 マン島の一日目の朝をレーシングマシーンの音をバックミュージックにのんびりと過ごしながら、今日の予定を考えてみる。前もってきちんと計画を立てるのは性に合わず、行ってから気分で決めるのが楽しい。まずはダグラスを出発し、TTコースの一部であるSnaefell(スネイフェル山)の山越え道を走り、マン島の最北端にでも行ってみる事にした。TTコースを途中まで逆走する事になる。 グランドスタンド、キャンプサイトがあるNobles Park(ノーブルズ パーク)を出発し、A2を東に数分。そして北へ左折するところが「Governor's Bridge」(ガバナーズ ブリッジ)と呼ばれる有名な観戦ポイントの一つ。A18に入り、道を行くと市街地、住宅地から景色が一転し木々に囲まれる道となる。するとまた別の観戦ポイント「Hillberry」(ヒルベリー)を過ぎ、草原が広がる直線から右カーブ。次に、道幅は広いが90度に折れ曲がるところがマップ上の★C 「Creg-ny-Baa」(クレグニーバー)、ここにはパブが建っていて、バイカーがいつもたむろしている場所のひとつ。この時点で標高は220mほどだがここからスネイフェル山頂のふもとにあるミュージアムまでの短い間に、更に200m標高を上げる事となる。山岳列島日本と比べると何て事はないのだが、緩やかな丘陵地帯にとっての200mの標高差は景色が変わるのに十分のようだ。 視界が大きく開け、延々と続く美しい丘が一気に見通せるようになる。紫の野花が至る所に咲いていて緑の中に紫が良く映えている。雲が近く、空気が少し冷たくなる。何て景色なんだろう。陽の光が雲の間からこぼれ、丘に陰影をもたらしている。さっきまでの街中が嘘のようで、その景色の変わり方が急激で、違う国に突然ワープしたかのような錯覚に陥る。そのめまぐるし変化がとにかく自分を感動させる。「マン島へ行き、TTコースを走るのだ。」という事しか頭に無かったためその道がどういう表情をしているのか、全く考えていなかった事の嬉しい誤算。しばらく進むと、行く手の上方に「Museum and Cafe」と壁に描かれた建物が見えてくるので、そこで一息つく事に。ダグラスを出てからまだ30分弱しか走っていないのに、もう十分堪能した気になっている。空気が明らかに冷たく、ティーストールで暖かい飲み物を買う。このミュージアムは去年閉鎖されてしまったそうで非常に悔やまれる。が、その愛嬌のある建物が残っているだけでも良しとしよう。 そのミュージアムはメインの道路から脇道に入り、ぐっと上ったところにあるため、マウンテンコースを南北に綺麗に見渡せる。そのコースを見つめ、佇んでいる像がある。それは26回TTで優勝し、2000年に亡くなったJoey Dunlop(ジョーイ・ダンロップ)で、TTコースの「Bungalow Bent」(バンガロー・ベント)を見守っている。また、コースの一部「26th Mile Stone」と呼ばれていた所が「Joey's」(ジョーイズ)と名前を変更された。その像の近くに腰掛け、ダンロップと同じようにコースを見ていると、子供を後ろに乗せたバイカーがやって来た。お揃いのジャケットを着ていて愛らしい。父親のほうはジェットヘルメットを被っているのに、息子にはしっかりしたフルフェイスタイプを被せている所にも愛情を感じた。少し話をすると、子供を連れて来るのは初めてだそうで、像の近くで二人一緒の写真を撮ろうか?と申し出ると息子の肩を抱いて、父親が嬉しそうに頷いた。いつかは、一緒にツーリングに来たいと思ってるんだろうな。微笑ましい様子の親子、というよりも子供よりも嬉しそうな父親が印象的だった。「See you at some point!」と別れを告げる。この島では「See you later.」でなく、「この島のどこかでまた会おう。」という意味での「at some point」なんだろう。 山道(TTコースは全体をTTマウンテンコースと言い、スネイフェルの部分を特にマウンテンセクションと呼ばれる)は信号が全くと言っていいほど無く、平均速度が80kmはある。いや、制限時速が80kmだったかもしれない。のんびり走っていると、いきなり地元の車に抜かされたり、レース気分で走っているバイクにすごい勢いで抜かされてヒヤッとする事が多々ある。ミュージアムからの道を進んでいくと、山を降り「Ramsey」(ラムゼイ、もしくはラムジー)の街に着く。山を降りる道はなだらかな山の先に、水平線と海沿いに白い街並みが眼下に広がりとにかく美しい。写真を撮りたかったが、カーブが続き、道幅が狭くなっているので停車が難しく断念。 |
有名な 「Goose Neck」(グース ネック)と「Ramsey Hairpin」(ラムゼイ・ヘアピン)をやり過ごし、コースに沿い、ラムゼイに入って行くと、バイカーがたむろしている「Parliament Square」(パーラメント・スクエア)がある。ここは交差点になっていて、角に「SWAN」(スワン)というパブがある。その向かいには小さな駐車スペースとTTコースを走るバイカー、レース観戦にも良い場所のようだ。道路を挟んで図書館があり、そこがツーリストインフォメーションも兼ねているそうなので、そこでラムゼイのタウンマップを調達する。辺りにはチップスやバーガーを売る店もあるが、まだ腹具合は大丈夫かと道行くバイクを眺めながら一服していると突然声をかけられた。振り返るとロンドンのエースカフェやイベントで見かけるTriton乗りのROCKER Stuart(スチュアート)が立っている。聞くと、レースの「Marshall」(マーシャル)をするそうだ。マンクス・グランプリではコース各所に配置されるマーシャルを、一般ライダーからボランティアで募っているとの事。実際、キャンプサイトでも募集の張り紙があった。スチュアートはGPに何回も来た事があるそうで、レースの良い観戦ポイントなどを教えてくれた。昨日まではあまり天候が良くなかったそうで、スネイフェルの山頂が雲に覆われていないのはここ数日ぶりらしい。彼の所属するバンドのライブが来週アメリカであるため、マンクスGP最終日までは居られないそうだ。彼はサイコビリー好きには有名な「Guana Batz」(グアナバッツ)のギタリストで、日本にも数回ライブで訪れたそう。 スチュアートに別れを告げ、そこからはTTコースを進まずにマン島の北端へ舵を向ける。道は細くなり、古びた家々がある。茅葺きのこじんまりした家もありこんな家に住む人はどういう生活を送っているのか興味が湧く。伝統的な造りの家は驚くほど高価らしいので、案外金持ちの別荘、もしくは余生を過ごす場所なのかもしれないな。コースからは外れているため、さっきまでの様に絶えずバイクとすれ違う事は無い。田舎道をトコトコと走っていると海が見えてきた。北端は「Point of Ayre」(ポイント オブ エイル)と呼ばれ、灯台がポツリと立っている。ある場所の足元には白いペンキで「スコットランドはこっちの方角!」とざっくばらんに示してあり微笑ましい。砂浜の手前には薄っぺらい丸型の石が敷き詰められており、いくつか形の良いものを選んでポケットに押し込んだ。しばらくのんびりした後に引き返す。途中からは違う道を選び、大回りしてラムゼイに戻る。牧場が広がり、道には所々に家畜のフンが落ちている。電柱も木製の古いタイプのもので何十年も前にタイムスリップしたように感じる。 |
ラムゼイのパーラメントスクエアに戻り、何か腹に入れようかとチップスショップへ足を向けた時、向かいのパブ「スワン」から「HIRO--!!」と呼ばれた気がして、振り返るとダビダのシャロンが手を振っているではないか!フィディー、ピーターもいて、再び再会。島は、狭い。バーガーをコーヒーで流し込み、パブの外で日光浴をしながら談笑。聞くとこれからグランドスタンドに行き、知り合いのレーサー達と会うらしく、良ければ一緒に来いよと言う。けれど、自分にとっては来た道を戻るだけなので、どうしようかと思ったが、これからこうして誰かと一緒に行動する事は少ないだろうし、機会を大事にするかと同行する事に。 昨日、フェリーに乗る時は気にしていなかったが、フィディーは最高速度300kmを超えるスズキ・ハヤブサに乗り、ピーターはオーストラリアメーカーのKTMの機敏そうなモトクロスバイク、レディー・シャロンは男顔負けのドゥカティのモンスター900。ちょっと待ってくれ。そんな最新鋭のバイクと共に自分の「クラシックバイク」が一緒にこれから山越えをするのか?速度帯が合う筈無いだろうが、向こうも大人。こっちに気を使ってくれるかな?と思ったが、それは最初の数分だけで、ヘアピン、グースネックを超えて走りやすい道に出た途端、ハヤブサとモンスターはとんでも無い加速で車をどんどん追い越しだした!!負けて当然だが、負けるのもしゃくで必死についていく。回転は5500を平気で超え、素早くギアチェンジをしてカーブと遅い車を抜くタイミングを見計らう。「何でこんなに本気で走っているんだろう?」と疑問に思いつつも、差は開くばかりだが、トライアンフに鞭を打つ。KTMに乗るピーターは自分の後ろをついて来てくれていて、本当はもっと速く走りたいのに、自分に気を使ってくれているのかと思うと申し訳ない。が、自分ももう一杯一杯だ。 死にそうになりながら山を越え、ダグラスに入る。するとシャロンが言う「グランドスタンドのパドックに入っていくから係りに停められると思うけれど、それを無視して中に入っていくのよ。あんたは英語が分からない事にしてなさい。」 「ん?そこって俺のテントがあるところなんだけど、ひょっとして、その敷地ってレーサー用??」と聞くと「そうよ。」とさらり。だからシャワーがタダなんだ、だからテント代を払わなくてよかったんだ。何故ならレースに参加する人はすでに払っているから! しかし、周りのレーサー達、何にも言って来ないもんな。朝だってグッドモーニングやら、バイクの話だけだったし。ひょっとしたらレーサーの友達だと思ってるのか、別に気にしていないのか・・・シャロンは言う「あんた、ラッキーね。誰かに咎められるまでそこにいなさいよ。」と。昨日到着した時は、夜遅くで、警備員がもう仕事を終えていたために紛れ込めたのだった。ラッキー!? 自分のテントへの、いやパドックの道のりには係員が立っていて、自分達4人は止まる様に言われるが無視して敷地へ入る。バイクを停めた後、改めてパドック内を見学。今日はこれから道路を封鎖してのプラクティスが行われるためレースマシンはほぼ出払ってしまっている。しかし、あるテント内ではノートンマンクスのエンジンを予備にだろうか?テーブルの上で、気難しそうな初老の英国人が組み上げている。グランドスタンド近くでは「Scrutineering」(スクータニアリング)と言うレース前の車検が行われている。プラクティスが行われる日は午後6時からTTコースとなる一般道がクローズされ、午後8時15分までその道を通る事はできない。「Road Closed」と通りに掛かる様が自分がマン島にいるんだと嬉しく実感させる。 何十台ものマシンが暖気のためにエンジンに火が入れられ、けたたましいサウンドが辺りを包んでいる。2台ずつ、10秒間隔でスタートしていく。最初グランドスタンドでその様子を見ていたが、途中からはレーサーにサインを送るピット近くに入り込み、かなり間近で見る事ができた!!グランドスタンド前はストレートなので、全開でマシンが通り過ぎていく。右から左へ一瞬の事なので、あまり見応えはないがオイルの焼けた匂いが漂ってくる。ピットにはプラクティスを終えたマシンが続々と帰ってくる。その中には父親もレーサーであり、今はその息子を鍛えているというBill Swallow(クリックで、ダビダWEBの彼の写真へ。)もマシンのリアの具合をチェックしていた。グランドスタンド裏にはいくつかストールがあり、仮設のパブもある。そこで一杯やりながらDAVIDA勢とヘルメットの昨今の事情、日本の規格を通す時の苦労などを聞く。 |
彼らは友人宅に寄宿しているそうで、シャロンは部屋に、フィディとピーターは敷地にテントを張らせてもらっているという。晩飯を一緒にどうかと誘われたのでついて行く事に。しかし道中の急なアップダウンで、ボルトの緩みと振動によってヘッドライトが切れてしまった。ガソリンスタンドでスペアを探すが車用ばかり。彼らは一緒に泊まればいいと言ってくれるが、あまり気を使いたくないので「ライトが無くても何とか街灯があれば帰れるでしょ?」何て答えていた。しかし、一行はメインロードを外れ、ぐんぐん坂を上っていく。最初は住宅街だったものが、完全に草原となり道幅狭く、左右には草の壁、しかも急カーブで電灯が一切無い所をドンドン進む!前を走るフィディ達の灯りを通して道を読もうとするが、彼らの速度はこんなところでも速い!笑 これは夜に一人で無灯で帰るのは、まさに自殺行為だと、おとなしく泊めてもらう事にした。その場所「Social
Cottage」 (マップ上 ★S) は地図にも載っている場所で、昔はその名の通り人々が集う場所だったそうだ。そこに彼らの友人
Karen(カレン)と旦那のPeter(ピーター)が移り住んだとの事。 敷地を入って行くと、こざっぱりしつつも大きな家があり、外から直接キッチン&ダイニングへ入れるようになっている。木造の非常に暖かみのある家で、こんなに良い雰囲気を味わえる事に感謝。一人でテントで寝るのとは月とすっぽんだ。キッチンの周りにカウンターがついていて、そこに各々がすわりTake Away(お持ち帰り)の料理を食す。どうせ今日は帰らないし、たがが外れてビールをガバガバと飲んでいく。途中からは部屋の電灯を消し、キャンドルに火をともす。カウンターも味のある木製で、目の前にある近代的なガスコンロを除けば言う事無し。(右写真は3日目の朝、フィディ)結局午前2ごろまで飲み、シャロンはバイクの旅の話から「私は宗教は信じていないけれど、レイラインというストーンヘンジ・巨石群が点在する場所のパワーは信じてる。マン島もその一つなのよ。」と興味深い話をしてくれた。「マン島はすごいところだよ、こんなに素晴らしい景色と出会えるなんて考えもしなかった。」と言うと「スコットランドへ行きなさい。Skye(スカイ)島から北へ広がる景色と比べれば、マン島は子供みたいなものよ。」と返ってきた。これ以上の景色が広がる? 「バイカーならば行かなければいけないところよ。」とシャロンが付け加える。 そろそろ眠気がやって来たので、お開きにする。寝袋にくるまって家の中で寝られると思いきや、フィディ、ピーターが先に寝ているテントへ連れて行かれた。辺りに街灯が全く無いため、豪華な星空が広がっている。それとは一変し、狭くむさ苦しいテントに入り、男3人で寝る。頭を互い違いにすると、自分の頭は斜面に対して下向きになり何とも寝づらい!頭に血が上りながら寝付くのは大変だったし、隣のフィディが動くと自分も起きてしまう。やれやれ、これじゃ疲れが取れないなーと思いつつ何とか就寝。まだマン島2日目?まだ五分の一しか過ぎていないのに一週間ぐらいいる気がする。時間の感覚が全く無い!! 3日目に続く。 |